2009年06月03日

REPORT 76 東京を生き抜くということ

 日本有数のターミナル駅である池袋駅が徒歩圏にあり、日本最大の書店、ジュンク堂書店があり、西武百貨店本店があり、ビックカメラ本店があり、サンシャイン通りがあり、東急ハンズがあり、サンシャイン60が目前にそびえ立ち、そして見渡せば無数のオフィスビルが建ち並んでおります。
 これが東京だと、当初僕ははしゃいでおりました。
 けれども、東京の真価というものは、そう言った表面的な部分に集約されるわけではございません。
 まるで宮崎駿監督の映画『天空の城ラピュタ』で、ラピュタの真価が表面の豪華な建物にあったわけではなく、そのコアの部分にあったように、東京もまたそのコアの部分に真価を隠し持っている。
 そのコアとは、人間のことです。
 世界のメガロポリス、東京は世界の一つの中核と言ってもいいでしょう。
 そこには、おびただしい数の才能が日本中、そしてともすれば世界中から吸い寄せられてきます。
 その個々の才能は、たしかにその地方や地域では抜きんでているのかも知れませんが、東京にはそのレベルが「普通」にごろごろといる。その現実を突きつけられ、多くは淘汰され、故郷へと帰ることになる。
 東京の中核に生き残ることができるのは、本当の才能だけです。(あるいは、その才能達に何らかの形で屈服した者たちか、才能達の余韻を遺産として引き継いでいる者か)
 逆を言えば、東京では恐ろしいほどの本物が平然と生活し、仕事をしているということになります。
 これは考えてみると、当たり前のようで、でも実際にはあまり意識しないことでもあります。
 
 先日、僕は「本物」を初めて実感いたしました。
 東京にはすごい人がいる、と感嘆いたしました。そして、それ以上にうれしく思ったのです。
 東京とは面白い、と。
 
 プライバシー的な問題以上に、今当社はどの会社と組ませていただくかという点で大変繊細な立場にありますので、その会社または人物について、このブログにおいて特定することは控えさせていただきますが、とにかく、僕はとても面白い方に出会ったわけでございます。
 社会的な地位があるばかりでなく、ビジネスマンとしても成功しているその方にあいさつにいく機会を得て、僕はまあ10分程度の形だけのあいさつで終わるんだろうな、と思って赴いたのですが、なぜか気に入られ、話が進み、本当に忙しい方だというのに、結局は3時間以上も独占してしまった次第でございます。
 1時間の講演会において40万円ほどで依頼を受けるということだったので、それから換算してもそのとき僕がどれだけ貴重な時間を過ごしたか、想像していただけるでしょう。
 とにかく、肩書きだけでなく、それにふさわしい風格があり、威厳があったのですが、一対一になれば僕は物怖じするということはございません。人間対人間の話ですから。
 とても懐が深い方で、僕はいつものごとくに無礼なことも平気で好き放題話しただけのなのでありますが、僕がやろうとしていることに対して、それは面白い、と何度も繰り返され、即部下に命じて様々な手配をしていただいた次第でございます。
 その手配について、まだ結果が出ておりませんから、ここに詳細を書くことができませんが、その提案は僕にとってあり得ないほどに好条件でありました。
 しかし、帰ってから提案を精査してみると、その方にとっても確実に利益になるということがわかる。しかも、関係が崩れないために、しっかりと両方が得をするように、つまり成功者が常に口をする「WIN-WIN」の構図ができあがっていたのでした。
 決断とは一瞬の判断によります。そして、成功者とはその決断力によって、他者を圧倒している。それだから、平等である24時間という持ち時間を、より有意義に使うことができるのです。
 その方が僕の中に何を見いだしたのか、はかり知ることはできません。
 ただし、間違いなく言えることは、長年培ってきたその「目」で何かを見たと言うことでしょう。そして、僕がやろうとしていることが、その方の目にも魅力的に映った。
 
 これは、何としても期待に応えなければなりません。
 これこそはチャンスです。逃す手はない。
 僕にとっても、これからの人生において、そういった一瞬の決断で全てが決まってしまうという局面が出てくるのだと思います。
 そして、信じられるのは、結局は自分自身しかいない。
 また重要なのは、成功をもたらすチャンスから決して逃げてはならないということです。
 
 さっそく、今日はサービスを固めるべく、関係法人様の間を駆け巡っておりました。
 見積もりを出してくれと言うことでしたので、いきさつを話し、こういったことになるかも知れないと正直に打ち明けると、その担当の方の対応も一変し、申し遅れましたが、こういう者です、と名刺が差し出されました。これには苦笑です。
 やはり、肩書きなどによって、相手の態度は変わります。ビジネスとは結局は人と人とのつながりであるようです。
 そして、何より僕が今すがすがしく動き回っていられるのは、今の僕にはただ一つの嘘もないからです。
 失敗は失敗として認め、今回、その方と会って話すときも、今現在の自分の状況を包み隠さず、正直に話しました。
 その方にはこうアドバイスしていただきました。
「おれなんかはこうなるとクジラなんかしか狙わないが、最初の内はイワシやサンマをとってなんとか自分を食わせていくことだよ。そして基礎ができて仕組みができてしまえば、そのうちに大物をとらえることができるようになる」
 おそらく、その方も起業当初は相当に苦労したのでしょう。
 あるいは、今の僕に、昔の自分を照らし合わせていたのかも知れません。そう考えると、サポートを申し出てくれた理由がわかります。
 
 さて、僕は今後どうしようとしているのか。
 その方に服従しようとは、無論、考えておりません。誰かに服従するつもりなら、起業などいたしません。おそらく、その方もそのことを感覚的に感じ取っておられる。だから、終始、当社を独立した会社として立ててくれていたのでしょう。
 それでは僕ができることは何か。
 つまり、それはビジネスだと思うのです。
 ビジネスの成功によって、その方にとっても有益な存在となり、お互いに利益を生む関係となる。それこそが、あるべき姿なのだと思います。そして、そうなるために、まずは「イワシ」を確実にとれるようにならなければならない。仕事を着実にこなしていかなければならない。
 その方から学ぶべき事は、無数にあるでしょう。
 僕が目指すところの一つの答えを、その方は35年かけて体現しているのですから。
 
 
 そういったことがございましたので、本日は前の【おしらせ】で、ライター候補を募集させていただきました。
 やる気のある方、どんどん僕にぶつかってきてください。
 もしかして、本当に面白いことになるかも知れません。
 と、いうか、僕は面白いことになると信じております。
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2009年06月02日

【お知らせ】ライターの募集(第一期)

 東京プライズエージェンシー代表取締役の三浦です。
 
 さて、現在当社が展開中のサービス『未来に贈る自分物語』について、数社より当社の方に営業打診がありまして、新たなる営業展開について検討中でございます。サービス内容も刷新いたしまして、よりお客様のご要望にお答えできるものとなるように、協力法人様とも話を詰めている段階でございます。
 
 つきましては、当社において執筆していただくライターを募集いたしたく、これをご覧になられている皆様にお願い申し上げます。
 かねてより執筆打診しておりました方の他にも、我こそはという方、または知人に「とてつもなく書ける人」がいるという方がおられましたら、お気軽に僕の方に連絡ください。
  また、大学関係者の皆様におかれましては、有能なライター候補を紹介していただくとありがたいです。
 条件などの提示には、もう少し時間がかかりますが、現段階での候補を今の内に絞り込んでいき、受注に備えるつもりです。
 当然のことながら、せっかく紹介いただきましても、本サービスに向かない方に関しましてはお断りいたしますので、その点はご了承くださいませ。
 ライターの条件といたしましては、文章力、物語制作力はもとより、「やる気」があるということと当社の理念を理解していただけているということが絶対的な条件となります。積極的なご応募をお待ちしております。
 どういう話の内容なのか、はじめて興味を持たれた方も、連絡お待ちしております。随時、お会いして仕事の内容についてご説明いたします。
 多くの方のご応募をお待ちしております。
 
 株式会社東京プライズエージェンシー
 t-miura@tokyoprizeagency.com

2009年05月30日

REPORT 75 コップ理論

 遙か大昔、アメリカのとても偉い方が唱えた理論に「AIDMA(アイドマ)」という考え方がございます。
 ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、一応説明しておきます。
 
 Attention 注目・認知
 Interest  興味
 Desire   欲求
 Memory  記憶
 Action   行動
 
 これの頭文字で、つまりこれはお客様が買うまでのプロセスを表したものです。
 もっとも、いくら経営や営業を学んでいるからといって、この単語を覚える必要はまるでないと僕は思うわけです。「ほうれんそう」とかなんとかかんとかとか、やけに短縮したあいうえお作文的なものを無理に覚えさせる会社などがありますが、あれ、どうなんですかね、効果あるんでしょうか。
 あんまり短縮標語的な物を覚えさせられると、逆に思考停止が始まり、発想力が阻害されてしまう要因になるのではないかと危惧します。
 それなので、あ、こういう考え方があるんだな、程度の認識で十分かと思います。
 
 僕はそういった本を読む以前に、感覚的に同じような理論を自分の中で確立しておりました。
 確立と申しましても、僕は学者ではございませんので、そんなスマートなまとめ方ができません。ただし、学者先生の理論よりも覚えやすいかと思いますので、参考までに書かせていただきます。
 
 僕が提唱するのは「コップ理論」です。
 AIDMA(アイドマ)に比べて何と垢抜けない言葉でしょう。頭文字集めた言葉でもない。
 
 どういうことか?
 
 自分が何かを買うときのことを思い浮かべてみてください。
 本屋で本を買う、あるいは服屋で服を買うという場合がわかりやすいのでそれを例に考えてみましょう。
 特定の本を買う目的でないのに、本好きな方は習慣として本屋に立ち寄ると思います。また、服が好きな方もそうでしょう。いい物があったら買おうかなくらいの感覚でお店に入るのでしょう。
 それで、少し気に入った物があれば、よし買おうと、買います。
 それは「ほしいコップ」が小さいために、すぐにコップがいっぱいになってしまうからです。
 ところが、車や高価なアクセサリーとなればどうでしょうか。ふらりと店に入って、よし買おうとはならないはずです。
 それは「ほしいコップ」が大きいために、なかなかコップがいっぱいにならないからです。
 売る側は、この「ほしいコップ」を溢れさせるために、テレビCMやら広告を雨あられと投入します。
 ね、欲しいでしょ。欲しいでしょ? 買いたくなってきたでしょう?と。
 無意識にテレビなどみていて、湯上がりなどにコカコーラのCMが流れると、「ほしいコップ」がいっぱいになります。また、車のCMを何度も何度も見ていると、「ほしいコップ」が徐々にいっぱいになってきて、ある瞬間に溢れます。そして、買ってしまうわけです。
 コップをいっぱいにするには、一つの手段でなく、いくつかの手段が重なったときが最も効果が大きくなります。
 たとえば、「ああ、あのデジカメほしいな、買おうかな、でもお金ピンチだしな」、と迷っているとき、テレビCMではコップの九分目までしかいかなく、それ以上はなかなか溜まらなかったとします。けれども、知り合いなどが会話の合間に何気なく、
「あ、そういえばあのデジカメかったんだ、すごくいいよ!」
 などと言ってしまえば、「ほしいコップ」はすぐに溢れてしまいます。あ、もう買うしかない、となるのです。
 この「角度変え」の法則は、恋愛にも当てはまります。
 たとえば、「あの子、なんかいいよな、でも気のせいかな」、とまだ思っている段階だとします。
 でも友人などの第三者が何気なく「最近、あの子かわいいよね、まじで」なんて言ってしまったときには、「やっぱりそうだよね!」と一気に「恋愛ほしいコップ」がいっぱいになるなんてことがあります。
 ちなみに、ドラクエやファイナルファンタジーなどのモンスターゲーム、ワンピースやのだめなどのモンスターコミックの最新刊については、前作、前号を読んでいる段階で、仮想次巻の「ほしいコップ」がすでにいっぱいになっている状態なので、発売日に迷わず買うことになるのです。
 
 売る側はこの「コップ理論」を逆手に取ればいいということになる。
 様々な角度から、「ほしいコップ」をいっぱいにするようにすればいい。広告でもいいし、ブランディングでもいい。なかでも、口コミというのは作為的ではないので、効果は抜群になります。
 ただ、一つ注意しなければならないのは、対象を分散しては結局、何も得られないということです。
 たとえば看板で本を広告するとします。
 心理的にはなるべく多くの商品を掲載したくなります。けれども、この場合複数掲載は絶対にしてはいけません。なぜなら、5商品掲載したら、見る人は心の中には5つの「ほしいコップ」が生まれ、結局は看板のキャッチ能力ではそのいずれもいっぱいにすることができないという結果になってしまうからです。
 できれば、看板に大きく一つの商品を掲載し、その作品がいかに優れているかを、あらゆる角度から描く。出版社から提供されたポスターやポップはこの場合、あまり威力を発揮いたしません。
 威力を発揮するのは、一般読者や書店員の手書きのポップです。
 これはちょうど口コミや何気ない第三者の一言と一緒です。
 支配された人の言葉ではない、つまり作為的でないから「ほしいコップ」は一気にいっぱいになり溢れて、買いたい!となるのです。
 
 なんてことを、改めて思い出し、改めて考え、また新たな知識を吸収している毎日でございます。
 
 明日は、久々の休日!
 この一週間は本当によくやったので、明日は本当に楽しめそうです。
 がんばれば、がんばっただけ、休みの日も充実するものなのだとおもいます。
 
 さて、風呂、溜まったな、ゆっくり入ろう、と思いつつ、今日も頑張ったので鼻歌でございます。
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2009年05月29日

REPORT 74 精神的M

 昔々、阪神タイガースがそれはそれは弱かった時代、僕は阪神ファンの級友に対してこう言いました。
「なんで弱いところをあえて応援するんだ? 負けるのを観て気持ちいいの? おまえ、精神的なMなんじゃないか?」
 巨人ファンだった当時の僕と、阪神ファンだった彼とは、無論、大げんかになりました。
 おそらく、その級友が僕に、巨人は金で選手を集めてどうの、と言ったのに対する売り言葉に買い言葉的なやりとりだったように思います。
 でも、今はわかります。
 故郷の宮城に楽天ができてからというもの、負けても負けても応援する人の気持ちはわかるようになりました。その後、、阪神も楽天も野村監督によってとても強くなりましたが。
 僕は自分をドSだと思っておりました。
 けれども、去年あたり、バイトの子にこう言われたのです。
「みうらさんって、Mですよねー。自虐的だし」
 その時はこう言い返しました。
「んなわけないじゃん! おれ、正真正銘のドSだよー」
 と、笑いながら言いつつも、どこか引っかかっていた僕はちょうど元カノから電話きていたときに、そういえばさ、と聞いてみました。
「おれって、Sだよね?」
 電話の向こうで少し間があって、元カノはまるで重大な病気を宣告するかのように言いました。
「あのね、自分ではSだと思っているようだけど、みうらくん、Mだよ」
 え? まじで?
 まるで自覚症状がなかったわけでございます。
 あ、おれってMなんだ。そうか、Mなんだ。
 何となく虚脱するような落胆がありました。
 それでまた、同じバイトの子が一昨日あたりの電話で言ったのです。
「みうらさん、Mですよねー。回りの人に聞いてみてくださいよ」
 わかってる。もう、回りの人に聞いたから。
 そう、おれはMなんだ。
「言っておきますけど、私はSじゃないですからね。Mでもありませんから、Nです」
 N? ニュートラルのN?
 すごい。面白い。真ん中は車のマニュアル・ギアみたいにNというのか。
 そう変なところで感心したのでした。
 
 何を言いたいのか。
 別に僕は自分の性癖を告白しているわけではございません。あくまで「精神的」なSかMかという話です。
 やはり、僕は精神的なMだ、と昨日今日で完全に実感しました。
 それと言うのも、僕は自分がふらふらになるまで自分ががんばらないと、自分が許せないことに改めて気付いたからでした。
 思い返してみれば、というか、このブログを今年の初めまで辿ってもらえればわかりますが、僕の去年の悩みはいかにして生活の中に「ゆとり」を取り入れるか、ということでした。
 去年を振り返るに、1秒たりとも後悔する時間はありませんでした。同じように2008年が始まったとしても、全く同じように2008年を過ごせる自信がないというほどに、徹底して目標を貫徹いたしました。達成率、実に100%。
 それ故に、夏場は若干体をこわしてしまいました。それで、今年は「7%のゆとり」を取り入れて、残りの93%をより輝かせようと挑んでいたのでしたが、最近の僕は93%どころか、70〜80%の達成率で過ごしていたのでした。
「どうした、おれ?」
 去年の自分が見たらきっとそう言ったことでしょう。
 それが、まだ昨日・今日と二日間なのですが、100%目標を達成し、ふらふらとなり、去年のあの感覚を完全に取り戻したのでした。
 そのふらふらとした感覚が、実に気持ちがいいのです。
 ふらふらとして初めて生きた心地がするというか、これだよ、この感覚だよ、と僕は失っていたものを取り戻したのでした。
 つまり、それこそがまさに精神的M。
 どうやら、極限まで頑張り、ふらふらになっている状況が、僕にとって何よりの喜びであるらしいのです。
 このタイミングで、この感覚が取り戻せて、本当に良かった。
 明日は行政書士の登録式で、これから極端にまた忙しくなります。
 それがうれしくてたまらない。激務よ、来い! どうか、来てください!
 まさに、精神的Mでございます。
 こうなれば、無敵でございます。心配かけた皆様、申し訳ございませんでした。
 これからが、本領発揮でございます。
 
 
 今日はS社長様、またランチにお誘いいただきありがとうございました。
 実に興味深い提案をいただき、本当にありがたく思っております。
 確かに、社長の提案をそのまま受け入れれば、当社の経営は一気に安定します。そして、僕にも時間的なゆとりができる。そして、当社のサービスを多くの皆様に広めていただくことができる。
 6月15日まで、入念にシミュレーションを繰り返し、返答いたします。
 それにしても、当社が提供するサービスをそれほどまでに買っていただき、改めて自信を持った次第であります。
 そして、何より、
 「みうらくんがやろうとしていることは、本当にいいことだから、応援したいんだ」
 との社長の言葉がうれしかったです。
 
 それと、そのランチの際、本当に偶然、隣の席に居合わせたUさん、メールでも言いましたが、びっくりしましたね(笑)。
 お互い、「あれ? 何してるの?」とフランクに話せる状況ではなかったので、その場では失礼しましたが。池袋、広いようで狭いんですね。それと、もう日付が変わりましたね、お誕生日だそうで、おめでとうございます!

 
 あれこれとりとめなく書いているうちに、お風呂がいっぱいになった様。
 さ、風呂入って、寝るぞ!
 明日も、フルスロットルでがんばるぞ!
 
 いや、このふらふらした感覚、たまらない、とMっぷりを確認しつつ、鼻歌をうたっている次第でございます。
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2009年05月27日

REPORT 73 フォーミュラ・ワン

 フォーミュラ・ワンとは言うまでもなく、世界最高峰のモーターレースのこと。F1と言った方がなじみがあるでしょう。
 F1はモータースポーツであると同時に、世界屈指の大会社が集う、技術競争の場でもあります。カートでレーサーを目指す人だけでなく、ロボコンなどで機会に夢中になっている人にとっても最高峰の夢の舞台なのです。
 世界最高峰の技術者たちが、コンマゼロ何秒の世界で熾烈な戦いを繰り広げるため、F1のマシンは少しずつ研磨されていき、必然的に美しいフォルムを持つこととなる。まるで、大理石から掘り出された彫刻、サンピエトロ大聖堂のピエタのように、そのマシンは無駄がなく美しい。
 そして、F1界にはそれを裏付けるような格言があります。
 「最も美しいマシンが、最も速い」
 その芸術的なマシンは、まずはスーパーコンピュータの中で、物理学の博士号を持つような、スーパープロフェッショナルたちの手によって形作られます。まずは理論的に最も速い車が、プログラムとして組み上がるのです。そして、1/4、または1/2スケールの模型を作り、そのマシンの上を風がどう流れるかを実験します。それが市販車でも使われる風を生む洞窟、「風洞」での実験です。ここで、極限まで空気抵抗を減らし、そのデーターを元に今度は実際のレーシングマシーンを組み上げるのです。そしてテストコースでのテストランとなる。
 ところが、この風洞実験の値と実際の外のコースで得られる値が大きく食い違ってしまうことがあります。理論的には完璧であっても、実際に走らせてみると思った通りの速さが出ないということがある。
 世界企業ホンダがF1を撤退したのは、まさにこの理論と実走との間でデータの食い違いがあったことが原因でした。
 スーパーコンピュータのはじき出した数字に基づく風洞での実験が、実際のスピードと食い違う。
 つまりは、どれだけすばらしい理論を打ち立てたところで、実際に速くならなければ、それは机上の空論に過ぎなくなる。
 
 
 4月からのおよそ二ヶ月間、僕が思い知ったこともまさにこの机上の空論だったように思われます。
 この一年間というもの、机上での理論は完璧なまでに組み上げてきました。けれども、実際に「株式会社」というレーシングチームを立ち上げて、レースに挑もうとするが、作業が遅々として進まない。レースを走らせるどころか、未だ肝心のマシーンが組み上がらずに、スタート・グリットにマシーンを並べることすらできない状況です。
 株式会社とは言うまでもなく、公に認められた法人であります。設立登記を済ませた時点で、商人として生まれ立ったことになります。商売に最も必要なものは、無論、信用でございます。
 それを重々承知の上で、僕はここにこう書かせていただきます。
 およそ二ヶ月間の僕の経営は失敗であったと。
 何をもってこう言うのか。
 僕は企業前から成功の第一条件は一年間資金をショートさせないことでした。
 厳密な意味で、この条件は未だに生きているとも言えますが、実質的には完全なる失敗です。すなわち、早々に追加融資で以後の事業資金をまかなうことになりました。
 断腸の思い、とはまさにこのことで、恥を忍び追加融資のお願いをいたしました。それで快く引き受けていただき、十分なほどの活動資金を再び得ることができた次第でございます。
 活動資金を得たとは言え、これは借金であり、実質的には一度倒産したも同然です。
 まず、これを認めなければ何も始まらないと思い、あえてここに事実を書きました。つまり、ここからが本番ということです。
 短い期間でしたが、僕は苦悩しました。資金のこと、これからのこと、現実的に山積する様々な問題。毎日が今まで味わったことのない恐怖との戦いだったと言ってもいい。その恐怖によって、明らかに僕は萎縮しておりました。当初の計画で言っても、その営業展開達成率は20%に満たない状況だったのは、ひとえにそれが原因です。人のふんどしで戦うときにはいくらでも無茶ができたというのに、いざ自分のふんどしで勝負をしてみると、得意の攻めが全くできなかった。押し出す勇気を持てなかった。やる気だけが空回りして、攻めるべきところ、投ずるところを見失い、結局は時が金であるということを認識しないまま、運転資金を消耗して行ったのです。中途半端もいいところでした。前に書いた、ナポレオンの敗因と同様、僕は時という敵の、各個撃破の対象となっていたのでした。
 
 さて、なぜ僕はこう赤裸々に書いているのでしょうか。 
 間違っても、諦めたからではございません。全くの逆で、ようやく確かな手応えを感じ始めたからです。ようやくレースをするための条件が整いつつあるからです。すなわち、戦うためのマシーンが完成しようとしているのです。 
 僕の失敗はレーシングチームの運営であって、レーシングマシーンの設計は間違いのないものだったと思っております。マシーン、すなわち商材サンプルを作り上げていくうちに、このサービスは間違いないと自信を抱くようになりました。あとはレースを走らせる状況に持って行けばいい。そして、追加融資の決定で、それが現実のものとなろうとしているのであります。レースを走ることができれば、勝つ自信はあります。つまり、マシーンができつつある今、あとはレースを走るための営業が必要となるということです。
 それも今週の金曜日に行政書士としての登録式を経れば、ようやく実質的に行政書士としても活動できるので、営業の面でも大きくプラス要因となります。
 とにかく、後は僕の実際のレースを観ていただくしかないでしょう。これからが本当の正念場ということになります。言葉を、行動で証明して行かなければならない。
 心機一転して戦いに挑むためには、まず失敗を認めるところから始まる。
 そう思い、今回このような形のブログを書かせていただきました。
 これによって、会社としての信用が著しく傷つくのも覚悟の上です。
 これからの僕の奮闘をご覧いただければと思っております。
 
 また、いつもたくさんの応援と支援、本当にありがたく思っております。
 
 それと、イニシャルもなしで匿名でいきますが、昨日の電話で吹っ切れたところがありました。おそらく、その人はこのブログを読む暇もないほどに奮闘中でしょうが、一応書いておきます。
 利益を出してこそ、夢や理想を唱えられる。
 企業は結局は利益を出す人材を欲しているのだ。
 まさに、その通りだと思いました。
 僕の場合、若い人々の夢を支えるために、僕自身が財務基盤を整備しなければならない。つまり、会社として利益を上げないことには、なにも始まらないのだと改めて気付かされました。
 いつも、どん底の時、助けてくれてありがとうございます。
 君も僕と同様、社会の巨大な壁に挑んでいるところなのでしょう。あるいは、僕よりも厳しい戦場に身を置いているのかも知れない。
 お互い、がんばりましょう!
 
 
 
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2009年05月24日

REPORT 72 モスマック症候群

 昔から、気になる会話がございました。
 特に若い女性たちの中での会話なのですが、それを聞くとどうしてかゲンナリしてしまうのです。
「あたし、マックあんまり食べないんだよね−。マックよりもモスがすき」
「あ、わたしもそれわかる−」
「だよねー」
 言うまでもなく、マックはマクドナルドでモスはモスバーガー。両方ともファーストフードのお店でございます。
 たいていの場合、このやりとりにおいてまず出てくるのはマックという単語です。マックという単語のみで終わっていいはずの会話に、なぜかモスという単語がかなりの確率で顔を出すのです。
 この会話は、同族確認、および共鳴確認的な静かな微笑で終了いたします。
 本人たちは、どうやらそれでマックを好きな人たちよりも自分たちを高いところで差別化しているのらしいのですが、実はそれ、大変申し訳にくいですが、自分のつまらなさを強調しているだけだと僕は思うのです。
 だって、どちらもファーストフードじゃないか。そもそも、値段の設定が違うじゃないか。と、いうか、マック、ふつうに美味いじゃないか。
 ポテトチップとかガーナチョコとかカップラーメンとか普通に美味いですよね。当然、ゴディバとか行列ができるラーメン屋さんのラーメンとかの方が美味いに決まってますが、それをあえて強調する必要ってないですよね。当然のことですから。
 なのに、なぜ若い女の子の会話の中で、マックはモスによっておとしめられるのか?
 仮にそれをモスマック症候群と名付けましょう。
 
 その感染理由をお答えする前に、もう一つ、同様の人たちの会話の中でよくあるものを紹介しておきましょう。
「あー、あたしあんまりテレビとかみないんだよねー」
 だから? それって偉いの? 何アピール? 
 それを言うのは圧倒的にマスモック症候群の人に多い。統計的に見て、モスマック症候群の人がこの症例を併発する場合が多いのです。
 断っておきますが、仕事や勉強などで普通にテレビを見ない人、または本当にどうしてもマックが嫌いな人は今言っているモスマック症候群には含まれません。ここで話題にしているのは、聞かれてもいないのにモスを引き合いに出し、聞かれてもいないのにテレビを否定する人のことです。
 なぜその症例を発症する人が多いのか?
 答えは至極簡単でございます。
 先ほども少し申し上げましたが、一般大衆と自分をほんの少しだけ差別化したいのです。
 ここで重要なのは、「ほんの少しだけ」というところ。それ以上に差別化が飛躍してしまうと、逆に「変わり者」のレッテルを貼られてしまうからです。
 それでは彼女たちはモスマックを言うことによって、本当に一般大衆とは差別化されるのでしょうか?
 される訳がございません。むしろ、皮肉なことに更に一般化が進む、あるいは、lこれで生涯一般化の呪縛から抜けられなくなった、と言ってもいい。
 なぜなら、モスもマックもファーストフードに他ならず、大差ないからです。そこのところで大差あるように見せかけるのは、自分自身が一般化から抜け出せない何よりの証拠となります。
 彼女たちにとっての一般化からの脱出大冒険が、マックからモスでしかなかったということです。
 それで、僕はゲンナリするのです。あまりに不憫だからです。
 
 
 ですが、このモスマック症候群は日本人の国民病と言っても差し支えないのではないでしょうか。
 このモスマック症候群が、日本人の感性的な基盤に巣くっているからこそ、日本は類を見ない流行主義社会となってしまっている。あれがいい、となると一斉にみんなが群がってしまうのです。ところが、当の本人たちは自分たちが流行のただ中にいるとは意識していない。一般のつまらない人よりも一段階高いところにいると思い込んでいる。しかし、すこし俯瞰してみると、それは流行のただ中に他ならないことがわかるはずです。まさに、モスマックの症例のように。
 
 じつは、ここからが本題でございます。商売をやろうとしている人、商売をやっている人は是非聞いてもらいたい。
 日本人の多くが、このモスマック症候群に感染しているからこそ、逆に流行を仕掛ける方としては商品やサービスの発信がやりやすいと言うことになる。マーケティングが、かなりの精度で通用することになります。
 前職にある際も、さらに大学などで話させていただいた際も、ベストセラーの理由を聞かれると、僕は必ずこう申し上げてきました。
「90%のベタと、10%の変化」
 つまり、ベタの方が人は安心するのです。ドラマでも音楽でもそうでしょう。ヒットするのはみんなベタなものです。一昔前の韓流や恋愛小説ブーム、モーニング娘。などをみればわかるでしょう。けれども、人は完全にベタなものは求めていない。10%程度の変化を求めているのです。
 たとえば、小説・映画『容疑者Xの献身』などがいい例です。あの話は90%ベタな話で、最後の10%において話をひっくり返し、大ヒットした。つまり作者や制作者の「サービス」によって90%読者や観客は安心しきっていたのです。これくらい、予想がつくさと、作品制作者よりも精神的な優位な状況で物語を楽しんでいる。これは実は読者・観客によって、とてもここちのいい状況です。デパートで丁寧なサービスを受けて、自分が偉くなったと勘違いしているような状況とかわりございません。
 ところが、エンターテイメントにおいて、100%のベタは「つまらない」と切り捨てられることとなります。それで10%程度の変化が必要となる。それが『容疑者X』における、最後のどんでん返しだったりするわけです。
「やられた! 油断してたよ!」この興奮が「おもしろさ」となり、ひいては作品のヒットにつながるのです。
 つまり、作る側、売る側としては大いにこのモスマック症候群の理論を応用すればいいということになります。そういった習性を知ることで、必然的に売るためのアプローチが変わってくるものと思われます。
 
 ちなみに、モスマック問答で僕が安心するのは、こういう答えをする子がいた場合です。
「あたし、マックすきー。ポテトとか無性に食べたくなるときあるよね」と素直に言える子か、あるいは逆に「そもそも、私、ファーストフードとか食べないから」と衒うことなく言う子。
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2009年05月21日

REPORT 71 夢見るタンク

 今日、遅めの昼食をとりつつ、再放送の『華麗なる一族』をテレビでぼんやり見ていました。
 で、思いがけず大泣きしてしまったわけです。
 ティッシュ一枚レベルの泣きと思いきや、二枚でも足りず、三枚目、鼻をかんでみるとなぜか鼻血までちょっと混じっていて、苦笑でございます。どんだけ興奮しているんだと(笑)。
 キムタクの鉄平が本当にかっこよく、その理想を掲げるところが痛々しく、父親をはじめとする弱い者軍団がつるむところが憎たらしく、それに対しても最後まで正々堂々とした鉄平が実にけなげで、まさにドラマとはああいうものなのだと改めて痛感いたしました。
 ネタバレになって恐縮ですが、鉄平さんは遺書においてこんなことを言っておりました。
「夢をみるということはもしかして弱いということかも知れないが、夢からくる情熱のみが新しい時代を切り開くことができるのだ」
 同感であります。まさにその通りだと思います。
 時に、理想とは青臭く、人によって煙たいものです。
 しかし、こいつ、あほか、と周囲が思うほどに唱えなければ、それはきっと実現しないのだと思います。
 夢に狂うほどでなければ、きっと事は成せないのでしょう。
 たとえば恋愛に傾倒するように、四六時中その夢について考えているということにならなければ、実現は難しい。
 朝起きて、今日は何ができるだろうかと考え、トイレに入り、こう動くべきだとうなり、朝飯を食べながら、さあ、やるぞ、と自分自身にはっぱをかけ、音楽を聞いて戦闘モードに切り替え、あとは遮二無二やるのみ!
 それを戦略的にやることができれば、申し分がない。
 昨日の失敗をぐじぐじと落胆する代わりに、顔を上げて今やるべき事を考えることができれば、おそらくその人は無条件で勝負に勝つ。
 失敗は誰にでもあります。その時にどういった見地にあるかということで、成功者とそうでない人が大きく二分されてしまうのではないでしょうか。
 すなわち、自己弁明、自己保身の理論武装に走り、からにこもってしまっては絶対に成功することはできない。
 自分の何が悪かったのかを客観的にとらえ、では次はどうすべきかを考えられる人こそが、結局は成功をつかむのだと思います。
 昨日の失敗を正当化する暇があるのなら、明日の成功を想像した方がいい。
 重要なのは、いいわけではなく、失敗を認め、常に未来に希望をつなぐということだと思います。
 そして、希望を持つ、夢を見るということは、言葉でいうのは簡単ですが、恐ろしいほどのエネルギーを要します。たとえ、フェラーリに乗っていたとしても、ガソリンタンクが1リットル分しかなければ、人生という名のレースに勝つことはできません。
 そう考えてみると、夢を持ち続けること自体が一種の才能なのかもしれません。
 消耗戦になったときに、あいつ、どんだけガソリン積んでるんだとライバルが呆れるほど夢を持ち続ける人が、結局最後には勝つのだと思います。
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REPORT 70 8月15日に生まれて

 ご存じのように、8月15日は終戦記念日であり、お盆であります。
 僕はこの日に生まれました。
 そして、フランス皇帝にまで上り詰めた、ナポレオン・ボナパルトも8月15日生まれでした。
 僕は小学校低学年の時分から歴史が好きで、学校の図書館で偉人伝などを読んで、一人で興奮しておりました。偉人伝と言っても、その当時読めたのはマンガシリーズでしたが。
 そこでナポレオンと誕生日が同じだということを知って、勝手に親近感を抱きました。
 本当は小説家を目指していたのだというところも、親近感を持つゆえんの一つです。
 彼は小説家になることを断念し、用兵という分野に進み、自分でも思わぬことにその分野で才能を花開かせます。
 あれ、おれ、こっちが向いてたんだね。
 どんどん軍功をあげて、出世をしていくうちに、おそらく田舎出のナポレオンはそんな風に思ったのではないでしょうか。
 自分では至極普通にやっているつもりだったが、知らぬ間に誰もがついて来ることができない境地に達していた。
 なんだかなー、と思ったかも知れません。
 そして、ナポレオンの決して芸術的ではなかった文才の方は、また意外な分野で力を発揮しました。それが、法律の分野でした。
 近代法の元になったとも言われる、いわゆる「ナポレオン法典」をつくったとき、ナポレオンは一度もつっかえることなく、とうとうと条文を作り上げたと言われています。もちろん、伝説でしょうが、それに近いことはあったと思われます。つまり、法的観念に間違いなく優れていた。ルールを作る達人だったとも言える。
 おれ、本当は小説とか、書きたかったんだけどな−。
 そうナポレオンは苦笑したかもしれません。
 ナポレオンは無敵の印象がありますが、常に勝っていたわけではありません。むしろ、要所要所の大切な場面で大負けしているんです。
 ロシア遠征もぼろ負けだったし、そして運命のワーテルローでも戦術的なミスで、イギリスのウエリントンに負けました。
 その時、ナポレオンが犯した戦術的なミスとは実に基本的なことだったのです。
 すなわち、戦力の分散が敗因だった。
 古今東西問わず、兵法の世界において、戦力の分散とは決してやってはならないことです。なぜなら、各個撃破の対象となってしまうからです。戦力はなるべく集中してこそ力を発揮します。
 
 そのことに、今日僕も気づきました。
 あれもこれもではなく、一つの方法について深度を深め、実走させてみる。
 深度を深めることによって、その分野において絶対的な自信を持つことができ、成功率が高められる。
 このブログも次第に商用の趣が強くなってくるために、企業秘密として何の分野の深度を深めるかはここで述べることはできないのですが、僕はある分野の攻略のため、本格的な研究に着手いたしました。
 準備を済ませた後は、とにかく実走させてデータを取らなければ何も始まりません。
 ミス・アンド・トライの実践でございます。
 仮説に基づき、戦略を立て、そして実走させて、何が悪かったかを検証し、さらなる仮説を立てる。
 そうやって繰り返すことでしか、新しい分野とは切り開くことはできないのかも知れません。
 何せ、新しいことをやるのだから、先達のピンポイントな成功談など存在するはずがないのですから。
 つまり、すべては自分でやってみなければならない。自分を信じるしかないということです。
 
 それにしても、このチャレンジできているということが楽しくて仕方がありません。
 自分の能力を極限まで試せるという喜びは、もしかして至上のものかも知れません。
 今日も気がつけば、朝から夜の十時までほぼノンストップでした。誰にやらせられていることでもないので、どこまでも追究できる。チャレンジできる。
 やはり、起業とは面白い。
 軌道に乗せることができたら、さらに楽しいだろうな、と想像するとやる気が満ちて参ります。
 
 皆さんも会社つくってみませんか、などと行政書士事務所的に宣伝などしつつ、今日こそは早く寝てやるぞと思っている次第でございます。
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2009年05月19日

REPORT 69 オフサイド

 日韓ワールドカップによって、サッカーは一躍国民的スポーツとなりました。
 そのときに、よく知られていなかったオフサイドのルールについて、多くの人が理解したのではないでしょうか。
 オフサイドはいわゆる「ファール」であり、相手側にボールが渡ってしまいます。つまり、攻撃の失敗です。
 ただし、オフサイドとスルーパスからのゴールは、本当に紙一重のこと。
 天才と馬鹿よりも紙一重です。
 代表戦だったか、オリンピック予選だったか、とにかく日本代表の試合をテレビで見ていたときのこと、解説の誰かがオフサイドを取られた選手を拍手で讃え、こんなことを言っていました。
「よしよし、その調子でいけ。10回に1回でもオフサイドにならなければ、それは成功なんだ」
 つまり、9回の失敗も含めて、それが成功となるということです。前の9回のチャレンジがなければ、その得点はなかったのですから。
 繰り返しますが、オフサイドとスルーパスからのゴールは紙一重です。
 そして、チャレンジがなければゴールはあり得ない。
 
 僕の人生はオフサイドの連続だったと言っていい。
 つまり、ファール、失敗の連続でした。
 けれども、僕はどんな局面におかれても、一度たりともチャレンジすることを止めなかった。それだけは誇れることだと思っております。オフサイドはそういった意味で、チャレンジの勲章とも言えるのではないでしょうか。
 この勲章が積み重なることによって、ようやくゴールにたどり着けるのだと僕は信じております。
 サッカーの試合を見ていてもそうなのですが、オフサイドを繰り返していると、ゴールの予感というものを、実際に試合をしている人だけでなく、見ている人みんなが感じる時があります。そういうときはたいてい、まもなく本当にゴールシーンを見ることとなります。
 今、その段階なのだと僕は思っています。
 オフサイドの連続。失敗の連続。けれども、それはゴールが生まれそうな予感を抱かせる失敗です。成功直前の失敗。それはきっと、成功のための失敗なのでしょう。その失敗がなければ、その成功はあり得ないという、因果関係にある失敗。つまりは尊い失敗。
 そう考えてみると、有意義な失敗は恐れるべきではありません。忌み嫌うべきでもない。尊ぶべきことなのかもしれません。
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2009年05月16日

REPORT 68 百戦して危うからず

  本日は、この前までお世話になっていた会社の営業本部長Nさんと出版社K社の営業副部長Wさんにお誘いいただいて、映画『ハゲタカ』の試写会に行って参りました。有楽町は、やっぱりあこがれの町です。そのあこがれの町に、東池袋から15分程度であっという間についてしまうとは、やはり僕はとんでもない都会に住んでいるということでしょう(笑)
 コンピュータとの格闘は結局は今日の朝方までかかり、一度は今日のお誘いをお断りしたのですが、どうしてもきなさいとのことでしたので、参りましたら、やはりとてつもなく楽しかったです(笑)。映画も面白かった。
 
 K社さん主催の試写会でしたので、『ハゲタカ』の作者の真山さんもいらして、映画の前に講演していただきました。最近の経済情勢は小説でこれはないだろうというくらいに劇的にしても、現実の方がさらに劇的なので、その上を目指さなければならないというような興味深いお話をされていました。真山さんは元々は読売新聞の記者をされていた方で、だからああも詳しくかけるのかと納得した次第でございます。
 『ハゲタカ』の主人公、鷲津は今回も相変わらずかっこよかった。
 情報が金になるということ、つまり知識こそがビジネスにとって命だということを、改めて思い知らされました。最近僕は雑務に追われ、その重要なことを怠っていたのでした。
 もしかして、法律の勉強をしていた去年の方が、それ以外の勉強までできていたかもしれません。働き、行政書士の勉強をしながら、週に一度はジュンク堂に通い、別の勉強もしておりました。それが確実に自信につながっておりました。けれども、いざ起業となると、引っ越しだ、許認可の手続きだ、トラブルの処理だといった雑務で時間がとられ、知識を吸収する機会が少なくなってしまいました。思わぬ事態でございます。これはなんとか早い段階で修正しなければなりません。
 映画の主人公、鷲津はドラマではこう言っていました。
「腐った日本を買いたたく!」
 そして、今回はこうです。
「アメリカを買いたたく!」
 あまり話してしまうと、ネタバレになってしまいますからこれくらいにしておきますが、彼らがその世界を席巻できるのは、非常に高いレベルの知識や情報を持っているからに他なりません。そして、常に知識や情報が入り込んでくる状況を作り出している。それだから、勝ち続けられるのです。
 中国の兵法家、孫子もこう言っています。
 彼を知りて、己を知れば、百戦して危うからず。
 つまり、古今東西問わず、知識と情報が勝つ上での重要なファクターになっていたことは間違いないようです。
 そして、知識や情報とは、インターネットや本で得られる部分というのは限られております。やはり重要なのは、ミス・アンド・トライを繰り返し、自分でその真偽を確かめること。そして、一つのミスで落胆しないことです。今まさにぼくはミス・アンド・トライを実践している段階にあるのだと思います。それを繰り返すうちに、必ず進むべき方向を見つけ出せるものと思っております。
 
 試写会が終わり、お食事会となりました。
 僕の起業セットをお渡しすることもでき、また実に興味深い業界のお話を聞かせていただきました。僕はもとより、NさんもWさんも話す人だったので、時間はあっと言う間に過ぎていきましたね(笑)。帰りの地下鉄でもWさんとは話まくりで、それでも話足りないくらいでした。また、是非、お誘いください。
 Wさん、ごちそうしていただき、ありがとうございました。
 Nさん、いつもお土産をいただき、ありがとうございます。
 
 *お二人とのお約束通り、さっそくブログに書かせていただきました(笑)。
 
 あと、Mさん、今日はそういうことでしたので、本当にすみませんでした。
 5月の終わりか6月の頭、必ず埋め合わせをいたします。

 
 さらに、宮城塩竃市のS様。
 起業のお祝いをいただきまして、本当にありがとうございます。また、温かい励ましのお言葉までいただきまして、うれしし限りでございます。
 
 こういったうれしいことの連続で、必ず軌道に乗せてみせると、やる気に満ちている次第でございます。
posted by 発起人 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記