2009年07月18日

REPORT 91 天才の認識

 
 夢の実現は、自分が天才ではないと認識したところから始まる。
 
 僕はそう信じております。
 少なくとも、天才とは客観的な様態形容であって、自分で天才だと思った時点で急な成長は望めなくなる。
 たとえば、横綱貴乃花とは少し前に若貴ブームをおこした平成の名横綱でありますが、周囲の人達はその稽古する姿を見て、こう舌を巻いていたと言います。
「誰よりも才能があるのに、誰よりも稽古をしているから、誰も彼にはかなわない」
 おそらく、貴乃花自身は自分を天才だとは思ったことがないのではないでしょうか。
 ひたすらに自分が目指すところに向かっていただけで、気がついたら誰もが上り得ない高みへといたっていた。天才と称されたとき、そういうものなのかと、他人事に思ったかも知れません。
 
 自分が天才だと思った瞬間に、とてつもなく大きな油断が生じます。これはいけるな、とアクセルをゆるめてしまいます。時計の観念がゆるみ、時間の貴さを忘れてしまいます。つまり、危機感を失ってしまうのです。確かに、自分に自信を持つということは必要なことですが、それが過剰であると力の発揮を妨げてしまうことになる。
 断っておきますが、以前このブログで、今の若者達は誇大妄想になったくらいの方がいいと申し上げましたが、今回言っているのはそれよりも一つ進んだ段階で、夢を持った、ではどういった心構えを持てばいいか、というステージのことです。
 
 自分が天才だと認識してしまうと、天才だからいずれきっと成功すると根拠なく安心してしまい、今日の努力を怠ってしまいます。明日からやる、との決意は80%の確率で達成されないもの。本当にやるのならば、今日、この瞬間から始めなければならない。自称天才は、明日があるさ、また明日があると、無駄に明日を浪費していきます。それは英雄伝などに見られる大器の人物が持つ、楽観、プラス思考だと思われがちですが、ここで発揮される明日消費は、プラス思考などではなく、単なる油断であり、甘えであります。これでは成るものも、成らなくなる。
 一方、自分が天才ではないと認識するとは、いったい、どういうことなのか。
 自分はどうやら天才ではない。しかし、夢を実現させたい。
 こうやって自分を客観視し、地に足をつけることによって、本当の夢の実現が始まると思うのです。
 おそらく、天才とは幻想みたいなもので、あるいはプラス方面の奇形みたいなもので、まずあり得ないと考えた方がいい。
 世の中で成功している人のほとんどが、天才ではない。少なくとも、自分を天才だとは認識していない。
 天才とは客観的な様態認識であり、自分が成功しないことへのいいわけだと、成功者は知っています。
 たとえば、こう言うことで、自分とその人との愕然とするほどの能力差から生じる劣等感がすっと消えることってありませんか?
「だって、あの人はプロだから」
 これと全く同じ道理でこういうとなんだか自分の能力のなさが気にならなくなります。
「だって、あの人は天才だから」
 この言葉にはわずかにプラス方面の奇形に対する、プラス方面への差別が混じっております。
 この差別は、こういう時に混じる差別と似ています。
「あいつ、ガリ勉だからな」
 つまり、結局は天才と言う言葉は、自分で自分の能力を認識して使う場合はきわめて稀であるか勘違いで、多くは客観的に使われるものなのです。
 
 自分はどうやら天才ではない。しかし、どうしても目指したいところがある。つまり、死ぬほど努力しなければならないということだ。
 こういう風に腹をくくり、現実を見据えることで、ようやく現実的な努力を日常的に重ねられるようになります。ここからしか、成功は始まらないような気がします。
 
 
 
 さて、7月24日、飲み会を開催すると申し上げておりましたが、諸事情ございまして、少し延期させていただきたく、お願い申し上げます。
 現時点で、参加の声をかなり頂いておりましたが、本当にもうしわけございません。
 近いうちに、改めてセッティングさせていただきます。 
posted by 発起人 at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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