2009年07月04日

REPORT 88 少年よ、頼むから大志をいだいてください

 ウイリアム・スミス・クラークは札幌農学校の初代教頭であります。
  アメリカ、マサチューセッツ州に生まれ、アメリカとドイツに学び、南北戦争にも士官として参戦しております。専門は植物学。けれども、札幌農学校においては、英語やキリスト教などを教えました。
 その滞在期間は8ヶ月と意外に短いものでした。
 しかし、彼はこの名言において、後世の日本に名を残すことになりました。
 
  ‘Boys Be Ambitious
  「少年よ、大志をいだけ」
 
 そうです、彼こそが羊ヶ丘展望台に今も銅像が立つ、クラーク博士です。
 彼の精神を受け継いだ札幌農学校からは、やがて世界にも通用する人物が数多く輩出されることとなります。
 国際連盟事務次長を務め、五千円札の肖像にもなった、新渡戸稲造や、思想家の内村鑑三などもこの札幌農学校出身です。
 
 当時はまだ明治期で、つまり本物のサムライ達の末裔がふつうに生活していた時代です。そして、明治維新を戦い抜いた人々も生きていた。それだから、「少年よ、大志をいだけ」と言えば、心が揺さぶられ、涙を流すほどに若者達の精神は剥き出しだったのではないでしょうか。つまり、素直で敏感だったのです。
 だが、今はどうでしょうか。
 大志を抱くことが「かっこわるい」。夢に向かうことなんて、なんか「汗臭い」。情熱なんて「熱苦しい」。
 そんな、冷めた見方が大部分を占めているように思えてなりません。
 安定を求め、20代から老後を思って貯蓄する。なるべく、平坦を求め、平穏を求める。
 やりたいことではなく、おそらくやらなければならないことに従事する。
 若者たちがです。本来ならば、暗闇を切り開き、新たなる未来を創り出さなければならない若者たちがです。
 日本の若者達は、なんと、聞き分けのいい、よい子になってしまったのでしょうか。
 視野が狭くなってしまったことでしょうか。
 
 今、やらなければならないことがあることは、わかります。現実というものはあらゆる理想を阻もうとする。
 
 でも、「本当にやりたいこと」はなんですか?
 それを、「本当はやりたかったこと」にしてしまって、本当にいいんですか?
 
 きっと、それぞれの方に、「本当にやりたいこと」があるはずです。
 ただ、何かしらつまらない理由をつけて、それに挑むことを自ら抑制してしまっている。
 大人になったつもりで、現実をわきまえたつもりになって、自らの限界に挑もうとしない。
 
 僕は現代を一億総鬱の時代だと思っております。
 この時代、物理的、現実的な引きこもりだけではなく、目に見えない精神的な引きこもりというものがあります。目に見えずに気づかない分、こちらの方がよほど質が悪い。
 その人達は普通に社会で生活をし、つまり学校にいったり会社にいったりし、端から見れば引きこもりでもなんでもないのですから。
 自分に問いかけてみてください。
 自分は本当に引きこもりではないか? 自宅の薄暗い部屋ではなく、他の目に見えない何かに引きこもってはいないか?
 そうすると、ほとんどの方が思い当たるのではないでしょうか。
 実は、社会の本当に狭い部分に自分は引きこもっているのだと。
 そこで、つまらない「いす取りゲーム」を日々繰り返し、人生を摩耗しているだけだと。
 映画の『マトリックス』で、全人類のほとんどが仮想世界を生きていたようなことが、現実に起きているのかも知れません。
 
 本当にそれでいいのでしょうか?
 リチャード・ドーキンス博士が『利己的な遺伝子』において論旨を展開したように、人間は遺伝子を後世に運ぶ乗り物に過ぎないのでしょうか? 根の生えていない植物に過ぎないのでしょうか?
 
 このブログを読んでくれているのは、圧倒的に若い世代が多いようです。
 だから、あえて言わせて頂きます。
 
 自らの理想を唱えてみてください。
 はじめは声に出さなくていい。紙に書かなくてもいい。
 頭の中で、唱えてみてください。
 自分は本当は何をしたいのか、どうなりたいのか。
 夢や理想というものは、思い描くところから始まります。
 空想なくして、夢の実現はあり得ないと思います。
 
 同じ事を繰り返し言います。
 
 あなたの夢はなんですか?
 それは本当に実現できないものなのですか?
  
 大丈夫、これを読んでいる皆さんがすべて自分の理想に向かったところで、社会は壊れません。むしろ、諸君の奮闘によって世の中がほんの少しだけ良くなるかも知れません。
 
 たとえば、僕は美しいものだけを信じます。
 自分自身が美しいと感じたものだけを信じます。
 それが、夢を思い描く上での重要な根源となっています。
 つまりそれは、僕は自らが信じる美しいものを実現したいということなのです。
 何らかの業界でトップに立ちたい、文芸や音楽などの様々な分野のヒットチャートを覆したい、よりよい政治の世界が形成されるのを見たい。
 そういった、一つ一つの目標は、「自らが信じる美しいものを実現したい」という大元からの派生に過ぎません。
 
 おそらく、皆さんにも自らが信じる美しいものがあると思います。
 それを実現したいという想いが、志であり、夢なのではないでしょうか。
 
 前にこのブログでも書きましたが、司馬遼太郎先生の奥さんはこう危惧されておられました。
「司馬の作品は、若者たちを誇大妄想家にしてしまうから」
 これは一昔前の話です。今現代の多くの若者たちには当てはまりません。
 今は逆に現実に即しているのならば、一度みんな誇大妄想家になってしまった方がいい。
 ここで言う誇大妄想とは、秋葉原や茨城での連続殺人の犯人のような、二次元における誇大妄想のことを言っているのでは、もちろん、ありません。あくまで「現実に即した」誇大妄想のことです。
 
 実は、現実の世界で理想を抱くというのは、けっこうな勇気がいることです。
 周りの知ったかぶりが冷めた態度で、
 「へえ、君、夢なんかみてるんだ。実現すると信じているんだ」
 などと言ったときには、自分が間違っているのではないか、恥ずかしいことを言っているのではないかと、錯覚してしまいがちになります。
 何せ、夢を真剣に目指している人というのは、実は圧倒的なマイノリティーなのですから、それは当然の話です。
 この世間の視線、常識と呼ばれる障壁を打ち破ることが、まずは夢を抱く上で必要となることかも知れません。
 
 でも、仲間がいればどうでしょうか?
 まわりに、自分が成功すると本気で信じている仲間がいれば、自分もやれる気になりませんか?
 
 僕が関わるシークレットサークル“SIGRE-HIKO”とはまさにそういった集まりです。
 一億総鬱放射能が蔓延している現代の社会における、シェルターと言ってもいい。
 今はまだ認定している人たちは少ないですが、彼ら、彼女らも日々迷いながら、夢の灯火が消えないように、懸命に戦っています。 自分が本当は何者なのかを証そうと、努力を続けています。
 かくいう僕自身も、夢を実現しようとしている同志の一人に過ぎません。
 翻って考えてみると、ここに書いたことは、まだ僕が成功していないから言えることなのかも知れません。
 
 こんな僕さえ、やろうと頑張っているんだ。より優秀な君たちができないはずがない。
 
 目に見えない銃弾が飛び交う戦地に身をさらしているからこそ言えることなのかも知れません。
 そして、これだけは言える。
 僕は今まで理想を捨てたことが一度たりともないと。
 
 これを読んでいる多くの人が、僕より優秀です。
 たとえれば、僕よりも遙かに性能のいい車に乗っている。
 もし、僕が人生のレースにおいて、何らかの成功を手にすることができたのなら、君たちにできないはずがない。
 つまり、率先して僕が成功しなければと改めて思うわけです。 
 
 そして、夢を持った人はもちろんのこと、理想を持ちたいが迷っている方、本当に進むべき道はこれなのだろうかと今の段階では志を明確にできない方も、遠慮なく僕にメールなり電話なりでアプローチしてください。
 何らかの力になれるかも知れません。
 少なくとも、何らかのきっかけにはなると思います。
 
 t-miura@tokyoprizeagency.com
 
 
posted by 発起人 at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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