2009年07月03日

REPORT 87 おくりびと

 血の流れ出る傷口を押さえるように、目にハンカチを当てて、息を整え、静かに涙がおさまるのを待つ……。
 
 久々に映画『おくりびと』を観て、案の定、号泣でございます(笑)。
 なんていい話なんだろう!
 なんていい音楽なんだろう!
 
「ずっと夢だと思っていたことが、本当は夢ではなかった」
 
 プロのチェロ奏者を目指していた主人公もっくんはそう言って、夢を諦め、東京を後にします。
 ひろすえ妻と一緒に故郷の山形に帰り、流れで納棺師になるのですが、ああ、本当にいい話だ。
 また、泣けてくる、困ったことに(笑)。
 
 もちろん、去年映画で観て、いたく感動していて、3月にDVDが出たのも知っていたのですが、僕は号泣するのが怖くて、あえて今まで観ていなかったんです。
 音楽が流れてくるだけで、泣けてくる。あのチェロの曲は反則です。
 静かな曲で、まさに川が流れるように曲が流れ、それで流れが急になったかと思うと、そのまま駆け上がるようにサビの部分に入って、高い音域でまた流れるように流れる。
 久石さん、やはり天才です。宮崎監督の作品が名作なのは、言うまでもなく久石さんの音楽があってこそ。
 きっと、天才は天才を呼ぶのでしょう。才能は才能を呼び、本物は本物を呼ぶ。
 きっと、そういうことがあるのだと思います。
 日米共にアカデミー賞の選考委員はだてじゃないですね。
 
 ひとつ、「おくりびと」のシーンで気になるところがありました。
 『天地人』の秀吉役でもおなじみの笹野高史が火葬場の職員として出ているんですが、彼が映画の中でこう言うんです。
「死とは門をくぐることだと思うんです」
 つまり、死とは通過点に過ぎないと。
 これに僕は違和感を覚えました。
 まあ、ちょうどこのシーンがきっかけになっただけで、世の中の多くの場面で遭遇することなので、今更という感じではあるのですが、僕はこのシーンを観て、ふとこう思ったのでした。
 なぜ人はこうも死後の世界を思うのだろうかと。
 現世を精一杯生きればいいではないか。
 現世で精一杯愛すべき人を愛せばいいではないか。
 愛している、好きだと言ってやればいいではないかと。
 
 少なくとも、僕は余力を残して死にたくはありません。
 死の床にあって、いやー、よく生きた、これ以上は無理だった、けっこう面白かったって思って死にたいものです。
 それで家族などがその場にもしいれば、
「さらばだ。おれは十分君らを愛したよな? おれも十分愛された。本当にありがとう。満足な人生だった。じゃあ、これで本当にお別れだ」
 と言って去っていきたい。まあ、しゃべることができれば、だけれども。まあ、遺言、という手もあるけれども。
 とにかく、来世も一緒にとか、生まれ変わったら、とか考えたくありません。
 もういいよ、生涯かけて愛したから、十分生きたから、と笑いたいものです。
 人、それぞれでしょうが、もしかしてこれが僕の宗教観なのかも知れません。
 
 宗教観と言えば、そう言えば松陰神社にお礼参りにいかないとな、と思いつつ、さあ風呂だ、と鼻歌になっているのでございます。
posted by 発起人 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記
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