2008年11月30日

REPORT 2 戦略的読書

 この一年、とにかく法律の勉強をしてきました。それまで小説ばかりの人生でしたので、法律的文章というものにはじめは全くなじめず、まるで外国語の勉強をしているような感覚でした。「AまたはB並びにC」、「AをBとみなす」、「但しCはこの限りではない」というような、ある一定のフォーマットに押し込められた文字列が法律的な文章で、小説はそれに比べるとはるかに自由度が高く、その分書くことによる感性の出露が容易になります。
 習慣とは実におそろしいもので、全くの素人であった僕も法律の勉強を3ヶ月も続けると、その文体が身に染み込んできました。その一方で小説的な文体は、僕の言語脳から着実にそぎ取られていきました。同時に、彩りを持って確かにあったはずの感性が、徐々に色味を失っていき、小説や映画ばかりではなく、音楽における感度までが確実に鈍くなっていったのです。今までなくてはならなかった、感性的な充足感に対しての欲求を、その当時の僕は失ってしまっていたのです。けれども、法律の勉強をする上でも、会社設立を考える上でも、感性のフェード・アウトは僕に有利に働きました。思春期よりそれまで永く煩わされてきた、諸々の煩悩に苦しむ必要がなくなったからです。ある意味での味わったことのない自由、いわば思考的な自由をその時の僕は確かに手に入れていました。これだけクリアな思考状態を保つことができたなら、なんだってできるとさえ思っていました。
 ところが、人生とはそううまくはいかないものです。法律の勉強が九ヶ月を超えた辺りから、恐るべき拒絶反応が起こり始めました。法律的な文体によって押し込められた、感性の氾濫が起きたのです。感性の水浸しにあって、今まで読むことで興奮さえ覚えていた条文が、途端に無味乾燥に思えて読むのもつらくなりました。音楽が急に胸に迫るようになり、感動的な映画を観て大泣きするようにもなりました。ですから、夏から試験本番までは、本当にだましだましの勉強で乗り切りました。
 そして、今の僕の言語脳は実に不安定でアンバランスな、カオスともいうべき状態にあるのだと思います。それを根本から整理しなおさなければなりません。そのために必要となるのが、戦略的読書です。まずは小林秀雄や谷崎潤一郎、ドストエフスキーなどの古典的な内容の文章を音読の速度で読み込んで、正しい文体と小説的なリズムを覚えなおさせる作業が必要となります。それを土台として現代の文学も読み、一方でビジネス書も読み、バランスを保つ。できれば12月中に、この言語脳のリハビリテーションを済ませてしまおうと思ってします。このブログもその一環ということになるでしょう。
posted by 発起人 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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