2009年08月02日

REPORT 98 サル、おれは逃げるよ

 歴史作家司馬遼太郎は著作においてこう評しました。
 
 
  日本に天才がいたとすれば、それは二人しかいない。
  源義経と織田信長である。 
 
 
 以前、僕はこのブログで天才について「客観的な様態形容」として触れたことがありましたが、その意味としても、また一般的な意味としても、その二人は明らかに「天才」としか言いようがありません。 
 源義経は、軍事的天才という意味でしょう。戦国では上杉謙信や武田信玄、古くは八幡太郎義家、明治にあっては大村益次郎、大山巌、東郷平八郎、そして昭和の山本五十六と様々な名将が日本にはいましたが、天才という意味ではやはり源義経が頭一個分抜きんでていると言っていいでしょう。
 
 信長における天才とはこれとはまったく違っております。
 まさに、鮮烈なる天才。
 信長の思考前提には絶大なる自由というものがあったと推測致します。「自由」という言葉が未だ日本に流入していない時代において、信長の思考は恐るべきほど自由であった。彼が手にした思考の自由は、間違いなく、自由主義社会に生きる我々が手にした自由以上に純度が高かったはずです。
 尾張の小さな豪族の家に生まれた信長でしたが、そこから主家を凌駕し、隣国の大大名今川義元を桶狭間において華麗に撃破し、そして戦国の妖怪、斎藤道三にまでその才を認めさせました。
 おそらく、信長はその間、終始淡々としていたのではないかと思います。
 彼の見据える先には、誰にも見ることのできない、遙かなる地平があった。
 その地平から視線を手前に転じたとき、旧態依然とした常識が実にくだらないものに映ったでしょう。
 つまり、あの桶狭間の大勝利も、信長にとっては至極当然の帰着だったに違いありません。
 
 「こたびの大勝利、まさにマリシテンのご加護があったからこそのこと」
 なぞと奇跡を歌い上げる部下などがあれば、信長は鼻で笑ってこう思っていたのではないでしょうか。
 「え、べつにふつうじゃん」 
 彼は常識にとらわれず、自らが見えているものだけを信じて行動したに過ぎない。そして、彼にとって当然の結果であったのが、周りの目には奇跡にしか映らなかっただけのことです。
 
 「天下布武」 
 
 美濃を平定してから、信長は好んでこの印を用いるようになりました。
 ひろく天下に武を布く。
 これが信長がみていた遙かなる地平の片鱗だったのでしょう。
 
 運命の本能寺において、信長は紅蓮の炎に包まれます。
 そこで幸若舞の敦盛を舞い踊ったと言われておりますが、それが真実としたら実に美しい最後です。
 
 人生五十年
 下天のうちをうらぶれば
 夢幻のごとくなり
 
 炎の中で、最期を目前とした信長はぼんやりと視点を飛ばし、また自らが置かれた現状を鼻で笑ったのではないでしょうか。
 「ま、光秀には見えないよな」と。
 
 そんな信長の生涯の中で、僕が特別好きなシーンがございます。
 越前朝倉氏を征服するために軍を北へと向かわせていたとき、妹婿の浅井長政が裏切ったことを知ります。妹婿ということで、戦力として考えていたのが逆に敵となったのですから、戦況は一変です。
 士気という面においても、長政め!と部下はいきり立ったに違いません。
(ま、元々浅井氏は朝倉氏と盟友関係にあって、信長が無理矢理割り込んできたので、信長の自業自得だったんですが)
  そこで、
「浅井を撃ちましょう!」
 と興奮する部下達を尻目に、信長はまた鼻で笑います。
 いや、むりでしょう、と。
 そして、腹心の秀吉をそばに呼んでこう言うのです。
「サル、おれはにげるよ」
 それを聞いた、秀吉も驚いたに違い有りません。
「え、まじっすか?」
 戦国の世とは言え、まだ武士のならいなぞがれっきとして存在していた時代です。普通ならば一戦交えて戦況をみるというのが常套ですが、信長には見えていたのです。勝てるはずがないと。
 それで、信長は本当に部下をおいて全力で逃げたのです。
 それがとてつもなくかっこよく思えるのです。
 今は勝てないよ、でも戦力を立て直してかかれば余裕でしょ。
 と、信長は先を見据えていたのでした。
 大変だったのが、しんがりをつとめた秀吉や家康でした。
「まったく、あの人にはほんと困っちゃうよね」
「でも、やっぱ、格が違うよね」
 とかなんとか言いつつ、信長の次の時代を担う彼らはここを上手く切り抜けるのです。
 それで捲土重来。万全の準備を整えて戻ってきた信長は、姉川の戦いにおいて、浅井朝倉連合軍をこてんぱにやっつけてしまうのであります。
 
 
 さて、何を言いたいのか。
 無論、僕は天才ではありませんし、信長になりたいと思っているわけでもございません。
 ただ、あこがれているのです。
 この機を見て全力で退く、というのは現在のビジネスの世界にも必要な考え方のなのではないでしょうか。
 
 僕は四月から営業の方式について、試行錯誤を繰り返しておりました。あらゆる方法を試し、様々な失敗を繰り返しました。その中でも、ウォーク・マーケティングと名付けた営業方式は、冬の段階から暖めていた構想で、これが機能すればいいと考えていたのでした。
 けれども、テストケースとして設定していた巣鴨で散々な結果に終わり、早々にこの方式を諦めることを決意し、インターネットの広告方式に戦力を一本化することにしました。
 どういう結末を迎えるか、とりあえず八月末までわかりませんが、とりあえず、出だしは思った以上に順調です。ようやく目に見えてお客さんが増えてきました。まだ広告計画の全てを展開し終えていない段階だというのに、今確かなレスポンスを得ております。
 あそこで退いて戦力を集中した結果だと思っております。
 更に精度をあげて、サービス、コンテンツを充実させ、実績を上げていけば、事業は完全に軌道に乗ります。もともと在庫を抱える必要のない形式のビジネスなので、あとは純粋にプラスに転ずるのみ。起業にかかった借入金も大した額とも言えず、それを返済してしまえば、魔法のように美しいバランスシートが決算時に作成されることになります。
 つまり、負債ゼロのバランスシートです。
 そして、余剰金の範囲内で設備投資をし、収益を拡大する。
 それを10年後のIPO(株式公開)まで続けたいと考えております。その頃には法律も改正されて、IPOにかかる企業の負担も軽減するはずです。さもなくば、新しい業種は育たなくなる。政府はそれほど愚かではないと僕は信じます。
 
 そのためには、この八月、ビックバン的に拡大戦略をとり、着実に仕事をこなしていく必要があります。
 幸い、準備は整っております。
 あとは依頼人第一主義を貫き通し、仕事を全うしていくのみ。
 起業の理念を決して忘れないように、頑張っていこうと考えております。
 全てはまず依頼人のために。
 依頼人の満足度が当社の企業価値となると信じております。
posted by 発起人 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

【エバーストーリー】広告配信開始

 (株)東京プライズエージェンシー、代表取締役の三浦と申します。
 
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 それにも関わらず、エバーストーリー専用ホームページは想定していたよりも多くのかたにご利用頂いております。
 今回、当ホームページの目玉コンテンツとして、無料お試し版を用意致しました。
 製品版「エバーストーリー」と同様に、受注制限をかける場合がございますので、ご希望の方はお早めに登録ください。
 
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  「エバーストーリー」専用ホームページ
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